2017-11

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memo 世界経済に関しての部分論

有限論が哲学の世界の中でヘレニズム超越神論により淘汰されたように有限経済論は超越経済によって打ち破られる可能性が非常に高くなってきたように思う。プラトンが善のイデアとして論じ、無限性を提起したのものは、コミュニティは数多く存在するが、それらは非常に流動性に富んだものであるが、その時空点において善性の確認がおこなわれることにより、実存の確定が行われるということを意味すると考えてもよいだろう。

構造性においてのアプリオリの必然

ライプニッツは可能であるが、それが必ずしも可能になるということではないとしている。つまり可能性の連関が実存を決定しているということを彼はいっているのであるが、もっと、いえば他者との時空間における連結が実存を実存たらしめているといってもいいだろうし、この場合においてはすべて実存は他者によって多角的に照射(可能性の組み合わせによる可能性の極大化)されることによって生じるアプリオがあるということにほかならないだろう。このアプリオリ(ここでは先天的必然)が否定された場合には、存在、つまり個のユニークをうばいさることになり、連結される可能性がなくなるということに他ならないし、ひいてはすべての実存はきえうせることになるだろう

現在の経済はあるいみ戦争経済の延長であり、それはトップダウン的な傾向が非常に大きいものであるといってもいいだろう。これは多くの人々が必然として存在するのではなく、数値的なものとして換算されているからにほかならない。より簡単にいえば人よりもシステムありきといってもいいだろう。個々のアプリオリが必然として組み込まれていない経済だといってもいいだろう。こうした状況においては集中の反面、貧困が生れ、そして、画一性の強要が生まれる。

今日はなんの日。ギロチンの日

1792年の本日、フランス人内科医ジョゼフ・ギヨタンがギロチンを初めて使った日である。勘の良い人ならば年号を見れば、それがいったいうどういった時代なのかわかるだろう。
フランス革命まっただなかである。一日に百人、日によっては千人にものぼる人々が処刑されていた時代である。

もちろん、第一義にギロチンは処刑の効率を高めるために開発されたものである。つまり首切り職人が大ナタを振るうよりも、紐をひくだけで、すぱっと首を落とす方が効率が良いということだ。

古典時代の12表刑とちがい、ギロチン刑は単に死を結果として作り出すために存在した。永久に反革命勢力が、その影響力を行使できないようにするために死を監獄にしたということだ。

最初は水平だったギロチンの刃は、よりすみやかに断頭するために斜めに傾けるなどの改良もくわえられていった。

どんな人間にも同じ手法で同じ結果にいたるように行うことを原則としてギロチンは開発されていった。つまり、平等を原則としてそれが貴族であろうとも王党派の農民であろうが、同じであるということである。

ここに死による量刑は不可能という問題点が処刑にまつわる問題点としてあらわれてくることになった。

死刑に関してのメモ

ローマ法の整備に伴い死刑というものは多様性を帯びてきた。それまでは、どちらかというと儀式的な意味合いや謀殺の類であったものが、それぞれに見合った刑というものが、考えられるようになってきた。
この時期の処刑種類は数百にも及んだ。
人をだましたものは衆人のまえで巨大なローラーにむすびつけ谷底に転がり落としたり。
政治犯にかんしては磔刑にするなどである。こうした流れがローマ法古典初期までつづき、その後に絶対君主制に移行したローマ法のもとでは刑が統合され始められた。つまり、ローマ法初期においては死刑の手段も量刑によって多岐を極めたということであり、後期においては為政者業務になったということを端的に表している。この際に選択されたのがねじ打ち(首の後ろからねじくぎを打ち込む処刑)であり、絞首刑であった。この二つの処刑は非常に効率的に死を作り出すためのものであった。また、同時に斬首などもあったが、これは後始末に非常に難儀したという執行官の伝記などがのこっている。

死刑とはなんだろうか10

死刑というものは人類が出現した時からあるというような誤解があるよう
に思われる。しかし、それは大きな間違いだろう。死刑とは法が生まれて
から、出現したものである。人工のものであり自然派生したものではない
ということはしっかりと念頭においておかなければならないだろう。ま
た、同時にそれが存続しているのも人工であるが故に人と法のかかわりの
中で維持されていると考えて良いだろう。

ネット情報のあやうさ スマイリーキクチ事件

スマイリーキクチのサイトが炎上し、その結果、名誉毀損として16名の人間が書類送検された。
キクチ氏が殺人事件の当事者である。あるいは加害者の友人であるというネット上の風評を根拠とし、それに固執した人間たちがスマイリー氏本人が否定しても、攻撃的な書き込みをやめなかったようである。
(先日肺炎でなくなった飯島愛さんも同じような風評被害にあっていたようである)

ネットで見た情報の信用性は非常に低い、特に文責が明確にならないような場所では当事者や当事者から直接聞いたような話が雪だるまのように付加して肥大化していく。基本的には井戸端会議ののりで忌憚なく語り合っているのであるけれども、相互に相手が確認できないようなところでは無意味に話の関連性が拡大していってしまう。そしてそういった会話の中では事情通というものが出てきて信憑性らしきものも付与されてしまう。

そして、それを見た人間の中の一部はメディアが報道しない真実だと受け取ってしまう場合が少なくない。それを最大の根拠として攻撃を始めてしまう。もちろん、自分は特定できないだろうという思い込みの中で安易に書き込んでしまう。責任が生じないとおもうとき、攻撃的になる場合が少なくない。

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