2017-07

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出さなかった年賀状

先生、年賀状はださなくてもいいよね。去年の年末に生徒の一人がそういった。普段から
年賀状とか季節のご挨拶に無頓着な僕は、そうしたものは書かないし、だしそうな人を
みかけたら出さないから、ださないでねというような、あんまり感心できないことをして
いるから、この生徒の申し出は歓迎すべきことであり。おお!そうか、わかったわかった
といって返した。

それから、しばらくして年があけて何日か経ち、彼の部屋を訪れたところ、彼の机に大量の
年賀状があった。誰かからもらった年賀状ではない。だそうとした年賀状である。

高校一年生の彼はここ数年で識字能力こそ回復したけれど、文字を書くことはほとんどで
きない。相手からもらった住所と氏名をなぞるかのように真似た。文字というようりも
模写といった按配のものである。そのはがきの一枚を彼の許しをえてとってみると、汚い
字でごめんなさいとひらがなで書いてある。その他、おおくの年賀状にも同じような文字が
並んでいた。

出したいけれど恥ずかしいから出せない。そんなジレンマの中で彼は何年も出せない年賀状を
書き続けてきたのだろう。

けれども、きっと来年の年賀状はともだちのところに出せるだろうとおもう。
僕はそうしんじている

無表情1

AをBに変化させるためになんらかの抑圧B´が生じたとき、外面上はBに到達しているので
はあるが、相対を観察しうる客観がありそこから観察が可能であれば、それはAからBへと
むかう力と抑圧B´の力が合成された方向へとずれていることになる。Bにとどまろうとす
ればB´のベクトル分の力をつかわなかればならいし、そこを基点にしてあらたな目的を
きめむかえば、B´に加算的に新たな抑圧がつみかさねられる。

故に人は目標を決めて歩くとき、客観というものを捨てて歩かざるを得ない、一度客観なぞと
いうものを自分の中に生じさせたとき、それは大きな重みを自分にぶら下げて歩くことに
なるだろう。どれほど、まっすぐ歩いているつもりであろうと人は目標を決めてあるく限
りぐねぐねとまがりくねりながあるく、それを真っ直ぐだといいはり、自分に言い聞かせ
ながら歩き、ときには人の歩く道を曲がりくねっていると馬鹿にしながらあるく。ある意味客観を自己展開する猿芝居によってでっちあげてあるく。

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