2017-07

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死刑とはなんだろうか 9

時効をなくすような要求が犯罪被害者の方からでているようである。

犯罪被害者の応報感情というものは理解してあまるものがある。また、応報によって、心の傷が癒える人々がいるのも当たり前のことであろう。しかし、もうこれ以上憎みたくないという感情を持つにいたった人の権利はどうなるのであろうか。死刑廃止運動において自らが被害者であるにも関わらず熱心に犯人たちの減刑を望み活動をしている人々がいる。また、内心において加害者の処刑を望まない人々もいる。

そうした人たちにとって加害者への応報は希望することではなく江戸期の仇討ちをもとめて諸国を何十年も放浪するのに等しい。
被害者や遺族のすべてが応報感情を持っていると考えてはいけないだろう。にも関わらず、まるで時代劇の仇討ちのようなコメントを求めるメディア。日本人の演劇感覚を端的に表しているのであろうけれども、自らが応報を法の場においておこないたいと心底おもっているのならばいいだろう。けれども、そうでない場合、いや、もっといえば役者が演劇を義務とするかのような感覚で、応報を義務としてせおってしまった被害者や遺族にとっては世間の声は大きな苦痛になるのではないだろうか。
ドイツなどでは、メディアが被害者や遺族の心情にたちいらないようにする法律があるという。こうしたものは法となる前にモラルとして感じ取ることができるからこそできたものだろうと思う。

日本はそうしたレベルにまで至っていない。また、本当に支援を求めている人にその手をのばしているともいえないだろう。

応報を行いたいという人もいて支援してほしいというひともいるだろう。しかし、誰でもいいから、そばに居てほしいというひともいるだろう。また、一家の支柱を犯罪でうしない生活の破綻におびえる人もいるだろうし、それらの感情を複雑に絡みあわせた人もいるだろう。被害者や遺族はすべて違うはずである。

仇討ちをすべての人が望んでいるわけではない。

記者たちが見ているのは被害者ではない。テレビの向こうにいる仇討ち劇を期待している視聴者である。

わすれてはいけないことがある。公判の上で被告が免罪を勝ち取ったとき、記者たちはなんと報道するのだろうか。
彼らは免罪であった被告の濡れ衣をこわだかに報道する。そして警察や検察を非難する。そのとき被害者や遺族は散々に煽られ、強い応報感情をもたされてしまっているのである。その気持ちのもって行き場はどこにいくのだろうか。

メディアというプロデューサーは残酷に主役を交替させるものだ。
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