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死刑となんだろうか 7 神隠し事件より

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画像は舞台ハムレットより

自分の性的な妄想から被害者をさらい、そのうで殺し、便所にばらばらにして流してしまうという事件の公判が進んでいる。ワイドショーなどで連日のように報道されているので、ご存知の方も多いかと思うが。人を殺した人間とは思えないほどに加害者は反省しているという話があちらこちらから聞かれる。

子供のころに負ったやけどからコンプレックスを持ち、自分はまともな方法では女性と交際できないと思い込んでいた。それくらいのことでコンプレックスを持ち人殺しに及んでしまうというのはあまりにも安直であり、同種の問題に大して明るく立ち向かっている火t人から比べると甘ったれもほどほどにしてほしいと思うのであるけれど、こうした事件も、やはり身の丈コミュニティのロストが大きな原因になっているのではないだろうかと個人的には所感している。

強い反省にいたっている。これは現状では確認せきないことだから、風聞に仮説の根拠をもとめることになり、非常に精度の低い話であることをまずは断っておく。

被害者のご遺体をばらばらにして便所に流す。そこまでして、罪に問われることを逃れようとしていた人間が、いまになってどうして、その罪を認めて、自らの死を望むようになったのだろうか。

報道によると、なによりも体面を重んじる人間だったようである。タクシーに乗ってもつりは受け取らず、逮捕前に被害者のご家族とすれちがっても「僕にできることがあればなんでもおっしゃってください」というようなことを言う人間である。被告の心情経過を分析する上において、彼のご遺族の方に語ったとされるこの言葉は彼の傾向を知る上でも重要な言葉だ。

おそらく、この言葉は彼の中では願望としても語られていたものである可能性が高い。自分が犯した罪であることは本人は十二分に認知していることなのであるけれども、自分の外面の部分が自分は犯人ではないという訴求をおこし、目の前でおこなわれる事件において、解決やご遺族の心を慰める主人公を演じたかったのであろう、逮捕当初尋問において確固たる掌紋という仏性を見せられるまで、激しく自分の反抗ではないと警察などに激しく抗議したようである。この時点においても彼は自分をなんらかの演劇の中心人物を演じようとしていた。

彼の目前で流れる事象、そのすべては幻影のようなものであり、自分は演じる人間として舞台にたっている感覚もあったのであろう。もちろん、底流には自分が捕まりたくないというエゴイスティックな心象に基づいているのは間違いない。

強姦して、性的な奴隷にして、自分の恋人にする。幼児性まるだしの犯罪である。この計画こそ、彼の体面の裏側に潜む衝動である。こうした性的な奴隷というようなものを空想することは性徴期に妄想することは男性にはよくあることなのだけれど、そうしたものは、成長し、多く恩人とのかかわりの中で昇華していき、現実的なものにおちついていくものである。ところが、彼はそうはならなかった。ただ、こうした妄想を膨らましていき、現実世界を妄想で侵犯させてしまった。

多くの男性は、こうした衝動をもちながらも、それを現実の領域で実行することはない。
友人たちとつまらないエロ話に興じたりしながら、妄想をふくらますけれども、実際に好意を寄せる女性がでてきて、そうした女性とどうにかして交際しようと努力する。そのなかで自分の気持ちや相手の気持ちを照らし合わせながら現実の交際に発展していく。

ところが、この被告はいきなり性奴隷なのである。いや、いきなりではない、思春期からそだててきて、現実を審判する衝動にまでしてしまったのではないか。

身の回りに馬鹿話として、こうした妄想を話す相手がいなかった。妄想とは衝動の引き金となるものであり、行動を定義づける仮想実験を担っている部分だといっていいだろう。この仮想実験が検証されることなく一人歩きを始めると衝動などの行動領域に影響を与えてしまう。この成長のための仮想実験であるものを検証するのが身の回りにあるコミュニティである。

彼にはそうしたものがなかった。外面的に付き合う人間はいたのであろうけれど、彼の妄想の中に立ち入ってまで来る人間はいなかったのだろう。唯一踏み込めたのは彼を尋問した警官であろう。

こうした犯罪を犯した人間が警官に真実をつきつけられ自分の妄想を語り、自供にいたるという例がおおくいるが、そのほとんどが身の回りコミュニティがなんらかの原因で損壊している人間が多いように思う。

その罪を自覚したのも現実世界からの彼の心象世界に立ち入ることができたからであろう。結果、彼は大きな反省を持つにいたっている(報道のみの情報による仮設)


犯人が死刑を望む、検察も死刑を望む、そして被害者も死刑を望む。星嶋被告に関しては遺族や加害者という当事者が死刑を望んでいるという不思議な状態になっている。だったら、死刑にしてもいいのじゃないかなというのが世論になるのだろう。

しかし、応報を目的とするならば、加害者は自分の望まない状態に置かれることによって、その罪が昇華されることになるはずである。ところが、この加害者は死刑になることを望んでいるのである。自らの命を低いものとして、そのうえでそれとバーターする形で被害者のなくなった命と引き換えにしようというスキムになる。

ここでは被害者の命と加害者の命がイコールで関連付けられる等式がおかれるということに注目しなければならないだろう。そのうえで、加害者に関しては死を望んでいる、被害者は望みもしなかったのにもかかわらず殺されたという加重が考慮されていないのではないか。

もともと、死刑によって応報がかなうかどうかなどということは考えるだけ無駄なことであるようにも思える。
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