2017-07

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秋葉通り魔殺人事件における作業仮説

人の心の作用というものは身体性の延長から生まれる。失調などを含めて多くの精神作用は他の身体性の疾患や障害と酷似するものである。

今回の秋葉通り魔事件において、容疑者が「彼女がいれば」「学歴があれば」と口にしているが、これは通常の精神作用をもった人間が口にするものと文脈は大きく異なるものではないかと僕は考えている。通常の人間ならば”彼女がいれば+楽しかろう”
”学歴さがあれば+仕事が安定するだろう”というような空想性言語が続くのだろうけれど、この容疑者の場合は”彼女さえいれば+苦しくない””学歴さえあれば+苦しくない”というような精神文脈に至ってしまっている可能性が非常に高い。
つまり、この容疑者においては彼女がいないことがあたかも苦痛をあたえているかのように使われている。
身体における神経痛において幻肢痛という症状がある。この症状は痛むはずがない事故や疾患等で失った腕に痛みがおきるというものである。(先端神経腫の類のものは別種)人

手足が存在するという可塑化された神経のパターンが輻射したものといってもいいだろう。その証拠にニューラルネットワークが形成される三歳以前の状態では事故や疾患等で手足を失っても幻肢痛というものはおこりにくいとされている。幻肢痛がおきるパターンというものは人間の脳内に仕組まれている。つまり、いない彼女を妄想し続ける、あるいはないはずの学歴を妄想し続けることによって、ないはずのものから容疑者の彼は大事なものをあたかも失ったかのような苦痛を与えられ続けていたのではないか、仮にここで精神幻肢痛という用語を作りおき、作業仮説を組むが、この精神幻肢痛というものは多かれ少なかれのレベルで多くの人の心の中にあるのではないだろうか

幻から与えられる苦痛。苦痛を妄想的にでも可塑化したとき人の心は大きく痛む。そして、それは存在しないということを絶えず肯定し続けるリアルな世界に敵意を示す。
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コメント

追記

お宅による大量殺人ってやつですわ。
現実との空想のギャップからの苦痛。
こういった事件は集団性という要素は加わるけど、オウムのサリン事件なども同種の根源を持つものだと思う。

感覚的には

その仮説、感覚的には理解できそうな気もしますが、それが外郭に対して敵意に転嫁する、というところが僕にはちょっとw色付きの文字

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