2008-05

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民主主義という本能の派生 (メモ)

 自然選択とは自然が生き残るものを選択することであり、一定の環境の中で変種の存在を許さず、環境の中で生きるものを種として標準化することを意味する。おおくの種が地域によってばらつきのある形で偏在するのは、その種が生き残るための環境が限定されているという前提があるためである。花が多く咲き乱れる高原に蝶が多くおり、寒冷地帯に蝶の種が少ないことを例にすればいいだろうか。

 蝶を引き合いに出したのだけれど、この蝶を含む昆虫という生物は、生命サイクルが非常に短く、変異がおこしやすいために環境を越えておおくの地にいる。(変種が環境に適応する)これと比較して生命サイクル、つまり寿命の比較的長い生物である哺乳類は、生命サイクルが非常に長いために変異が少ない。そのために適応する環境も限定されがちであるし、環境の変化に非常に弱い。

 つまり、変種を生じさせにくい生物は、ある地域に偏在する。

 環境がちがう、これは食べるものが限定されているためであるけれど、毒性の高いユーカリを食するコアラのように、ある生物にとっては食べることができる食物であっても、他の種においては食べられないばかりか毒性を示す場合も少なくない。ある食べ物を食するために生体進化がおこなわれてきたといってもいいだろう。つまり、気象環境に起因する植物分布にしたがい動物は進化を進めてきた。これは肉食雑食獣などの草食を捕食(草食獣の血と肉を毒物のフィルターとして利用する)するという意味で、その分布は多少大きなものになるが、おおもとにおいて生物は毒性によって住む場所が限定されているといってもいいだろう。それぞれの種はなんらかの形で毒性を体内に蓄積していき、たべられすぎないようにする。それが自然であり、自然にあるものだからといって、それが健康によいというのは大きな勘違いだろう。

 ところがである!この毒性を消化するために肉体的な進化を必要とせず長大な時間を必要とするような変種を生み出さずに自分たちの住める環境を拡大する動物がうまれてきた。
たった、六万年ほど前まではアフリカの一角ですむことしかできなかった動物。それが人間である。

 自分たちの適応した環境からはずれれば本来ならば死滅するだけなのであるけれど、適応し得ない環境の中で火を使い食べれないものを消化効率の良いものに変換し、水につけておくなどの単純な科学反応を使い食べれないこの実などからアクを抜き可食とする。弱いもの、つまり環境に適応し得ないものを生き残らせようとしだしたのである。本質的に哺乳類は子供の数が非常に少ない、そのために種を保存しようとする。ひいては子供を保護しようとする本能も強いのであるが、この保護の本能が延伸し、変種をつくらずに環境を加工し利用することによって適応しだした。いうならば環境の加工と利用という技術が変種をうむという自然選択の法則を代替させたといってもいいだろう。(ここ五万年ほどで異なる環境におおくの人間が住んでいるにもかかわらず人間の変種や亜種というものがないというのは生物の法則から言うと異常なことだ)

 よわきものを生かす、同義として環境からはずれたものが生き抜く、もし、それが民主主義というものの原則と同じとするならば、それは自然界の法則と大きく異なる。しかし、人間は弱いものを生かすというものを本能として獲得してしまった。

それがいいことなのかわるいことなのかは僕にはわからない。
 
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