2008-05

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渋谷妹バラバラ殺人事件

渋谷妹バラバラ事件の判決が出た。被害者家族と加害者家族が一致しているということからこんごの同種公判がどのように
動くかということが今回の公判ではよく見えたと思う。被害者家族と加害者家族が一致しており加害者者に応報感情に抱いて
いない場合、もちろん公判は応報感情に答える必要はない。本来の法の概念から考えると公判とは被害者の応報感情にこた
えるものではない。再犯の防止ならびに社会的考察と対処が公としての公判の本義である。
このことから公判とは被害者の応報感情にこたえるべきものではないと僕は考えています。

今回の公判では公的な量刑と応報感情が天秤にかけられ応報感情を優先するという傾向がみえたのじゃないでしょうか。
また、鑑定においても罪を軽減する選択の方向性がみられた。

しかし、そうなると面妖なことがおきてくるのじゃないでしょうか。

親族殺人、つまり愛すべきものが愛するものを殺す、古代から続くもっとも重い罪であるはずものが軽い罪にもなりかねない。
同時に量刑という面では同種ではあるが、殺した相手が身内でなかったためにより深い刑罰をうけることもありえるということになる。
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多神教から一神教へ

 一神教への誤解というものが世間でもよく見受けられますが・・・
基本的に一神教には、「偶像崇拝の禁止」という項目が必需のようにそれぞれの聖典に書き添えられています。

古代から現代までの多神教と一神教への遷移についてふりかえると

多神教とは本来的にそれぞれの集団において権力者が神を勝手に創造し利用するために増え続けてきたものです。その後多くの地域から一つの場所に色々な神を信仰する人々が寄り添ったときの生活折衷として多神が一つの祭殿におさめられるようになります。これが紀元前14世紀(2400年前)の古代エジプト王イクナアトンによって一つの神として生みだされます。

おおくの神が色々な法を持つ、その矛盾をおおくの神が持ち合わせる最大公約数の部分を抽出し一つの神とし、その法の元で暮らすという手法をイクナアトンはとりました。これが一神教のはじまりです。

後のキリスト教(厳密に言えばユダヤ教)ではディアスボラ(民族漂流)の中でおおくの神を合議の元で一つにしました。多くの人が持ち寄った神の最大公約数から生まれた十戒の元での神が更に創造されたといってもいいでしょう。

つまり一神教とは多神教から生活慣習の必然から生じた合議による神といってもいいでしょう。その合議の結果をまもるために「偶像崇拝の禁止」「自分の神の名を口にしてはならない」などという戒律をあわせることによって、個人や小集団が持つ神への信仰上の衝突をさけました。つまり、ここで信仰の自由と信仰による衝突をさけるということを一神教の必然としたのだとおもいます。ひいては神を個人所有してもいいものと、公の神とを分極化させたのでしょう。

一神教これを僕風にいいかえて合議神というものは多神教のように権力者の都合によって複雑化し無限に増え続ける法を公の神の創造によって、より重要度の高いもの、多くの人が共通して持つ道徳を集合化させるものだったのでしょう。

 宗教対立というものが世界各地で起きていますが、これはある意味一神教の成立過程からいうと、15世紀から始まる世界のグローバリズムの結果、世界の宗教が多神教化してしまった結果だといえるでしょう。それに対してラスカサスなどインディオの信仰などにも通じていた神父たちはお互いの神に共通するものを探そうとしました。

この動きが現在の道徳的民主主義の原型になっています。



 
イエスと仏陀

 彼らが生活した時代において仏陀やキリストは破戒僧のようなものでした。おおくの神からうまれるおおくの戒律に縛られ人々は自由をもたず、自分自身の神をもつことすらゆるされなかった。そうした時代に反旗をあげたのがキリストや仏陀だったのではないでしょうか。ある意味彼らは社会のため、今生きる人たちのため、そして将来生きる子供たち(将来を生きる子供たちのためこれこそが輪廻だと僕は思う)に猥雑で複雑になりがちである信仰の大系を整理しようとしたのだと僕はおもいますよ。


MVPEN いろいろ

VISTAではMvpenのデバイス位置の設定が出来ないXPや2000ならば0kのようである。この一設定ができない場合にはデバイスのおき場所が限定されるためにノート等の都合によっては融通性が限定される(ノートの上部中央に限定されるためレポート形式のつくりのノート等では使いづらい)
ソフトのバージョンアップが望まれるところである。

TIPS:付箋のはがしかた。付箋自身を右クリックをして閉じるを選択すると付箋は削除される。

TIPS:背景色設定、編集画面においてアイコンをクリックする。

TIPS:ゼブラの4Cジェルなどのリフィルも利用が可能だとおもわれるので。この辺は自分の好みにあわせれば良いだろう。

ゼブラの4Cジェル ゼブラ 
ラミーの4C(油性)信頼文具舗 

はてな?:AIRPenなどとpen先がは同じもののようである。ドライバーやパテント提供先が同じであることを考えると、MVPENとAIRPENは、ひょっとすると互換性があるのかも知れない。

民主主義という本能の派生 (メモ)

 自然選択とは自然が生き残るものを選択することであり、一定の環境の中で変種の存在を許さず、環境の中で生きるものを種として標準化することを意味する。おおくの種が地域によってばらつきのある形で偏在するのは、その種が生き残るための環境が限定されているという前提があるためである。花が多く咲き乱れる高原に蝶が多くおり、寒冷地帯に蝶の種が少ないことを例にすればいいだろうか。

 蝶を引き合いに出したのだけれど、この蝶を含む昆虫という生物は、生命サイクルが非常に短く、変異がおこしやすいために環境を越えておおくの地にいる。(変種が環境に適応する)これと比較して生命サイクル、つまり寿命の比較的長い生物である哺乳類は、生命サイクルが非常に長いために変異が少ない。そのために適応する環境も限定されがちであるし、環境の変化に非常に弱い。

 つまり、変種を生じさせにくい生物は、ある地域に偏在する。

 環境がちがう、これは食べるものが限定されているためであるけれど、毒性の高いユーカリを食するコアラのように、ある生物にとっては食べることができる食物であっても、他の種においては食べられないばかりか毒性を示す場合も少なくない。ある食べ物を食するために生体進化がおこなわれてきたといってもいいだろう。つまり、気象環境に起因する植物分布にしたがい動物は進化を進めてきた。これは肉食雑食獣などの草食を捕食(草食獣の血と肉を毒物のフィルターとして利用する)するという意味で、その分布は多少大きなものになるが、おおもとにおいて生物は毒性によって住む場所が限定されているといってもいいだろう。それぞれの種はなんらかの形で毒性を体内に蓄積していき、たべられすぎないようにする。それが自然であり、自然にあるものだからといって、それが健康によいというのは大きな勘違いだろう。

 ところがである!この毒性を消化するために肉体的な進化を必要とせず長大な時間を必要とするような変種を生み出さずに自分たちの住める環境を拡大する動物がうまれてきた。
たった、六万年ほど前まではアフリカの一角ですむことしかできなかった動物。それが人間である。

 自分たちの適応した環境からはずれれば本来ならば死滅するだけなのであるけれど、適応し得ない環境の中で火を使い食べれないものを消化効率の良いものに変換し、水につけておくなどの単純な科学反応を使い食べれないこの実などからアクを抜き可食とする。弱いもの、つまり環境に適応し得ないものを生き残らせようとしだしたのである。本質的に哺乳類は子供の数が非常に少ない、そのために種を保存しようとする。ひいては子供を保護しようとする本能も強いのであるが、この保護の本能が延伸し、変種をつくらずに環境を加工し利用することによって適応しだした。いうならば環境の加工と利用という技術が変種をうむという自然選択の法則を代替させたといってもいいだろう。(ここ五万年ほどで異なる環境におおくの人間が住んでいるにもかかわらず人間の変種や亜種というものがないというのは生物の法則から言うと異常なことだ)

 よわきものを生かす、同義として環境からはずれたものが生き抜く、もし、それが民主主義というものの原則と同じとするならば、それは自然界の法則と大きく異なる。しかし、人間は弱いものを生かすというものを本能として獲得してしまった。

それがいいことなのかわるいことなのかは僕にはわからない。
 

教育集積による個性の獲得(メモ)

人間が一人でいようとする。集団でいようとする。この相反する不能は、人口の増大による環境破壊と群れを維持しようとする機能がはたいているためだろう。
これは6万年前の絶滅の危機に瀕した時の経験が本能と化したものであろう。
他の動物と比べても少産である人頬は、社会的な条件がそろわない限りは人口爆発はおこさないような生体構造になっている。群れをつくってこそ人口が増大する仕組みになっている。群れを作るために人間の子供はか弱い存在であり、社会性を高めるように教育されなければ生きていけない。この教育というものを作り出すにはそれなり大きさの群れを作らないし群れが存在しなければ、教育などは存在しえない。教育の本質というものは、「生きる力」を与えることだろうとだと思うし、その本質は群れを維持するためであり、群れとの共存の力をつけることであろうとおもう。それが職業分担であり社会的なルールの徹底でであろう。

この群れの最小単位というものが「家族」であろう。家族は子供を養ない言葉を教えるのだけれども、子供が社会参加をおこなう際には曲との集団のより大きな集団(家族が所属する)の教育へと移行する。段階的にシームレスな形でより上位に教育は移っていくのだけれども、より上位にシフトしていく際に下位よりの接続というかより上位との相違が教育の段階をあがっていくたびに集積されていく。
この集積がストレスを生じさせる場合もあるし個性と呼ば
れ個へ昇華されていく場合もあるのだろう。

やっかいないきもの

20万年前ミトコントリアイプから枝分かれしてきた人類はおおよそ6から7万年前アフリカから出たとわれているが、このアフリカからでた13万5千年から9万年前までに一体何がおきていたかということはわかっていなかった。しかし、この半年ほどの遺伝子解析から人類が六万年ほど前に絶滅に瀕し、全人類が二千名ほどまでに減少していた可能性がジェノ研究から導き出されている。また、この絶滅の原因は環境の大きな変化のためにひきおこされた可能性が高いとされている。

ミトコンドリアイブの時代から我々は群れをいかに大きくするかを種の保存の原則として使ってきたわけであるけれど、おそらく一箇所での定住と人口爆発がアフリカの大地から追放される原因になったのだろう。そして人々は定住できる土地を求めてアフリカを離れ世界に飛び散った。

しかし、小集団では生きていけずに。種の保存の法則である集団性の壊れが生じた。そのために世界に飛び散った人類は2000人という規模にまで人口を縮小させた。

群れれば滅び、離れても滅びる。人類はやっかいな動物である。

落書き

yotubato.jpg

MVPen2

本日到着しました。この文章はVISTAの文字認識機能とMVPENを使って書いています。

いろいろなデジタルペン

ペンテルのAIR PEN
外部機器がペンから出る超音波を追うことにより筆跡を追うもの。外部端末が比較的大き
ために拡張性も高いがその分、携帯性は若干の不便が伴う可能性もある。
ペンテルの開発者がインタビューを受けるシーンは日本語



anotoのデジタルペン
ドット地の専用ノートをつかい筆跡を追うタイプのもの



Pulse Smartpen
ドット地の専用ノートをつかい筆跡を追うタイプのもの、計算や録音も可能であるがじゅうりょうもそれなりにある。

mvpen

デジガジェのmvpenを購入しました。識字障害をもった子供たちのノート管理に使っていくつもりです。

ポーテスヘッド



デビューしてから、もう17年も経つんだ。
でも、いまだに魅力を失わない。ブリストルサウンドの草分けであり、ビョークなどよりも
瞑想性も高い。こういうミュージシャンが日本ではどういうわけか出てこない。

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