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ともぐい

twitterでのつぶやきより


1:RT核には同族食いを禁じる機能が具備されています。もちろん、極端な空腹においては同族の死肉をむさぼる可能性はあります。このへんは食物摂取動態神経とA10神経あたりが作用しているのだと思いますが、この部分が人類の場合は過剰に進化した可能性がありそうです。

2:飢えと乾きを過剰に作り出す。これは貧困妄想などの精神疾患並びに古い精神外科の記録に残る脳梁部位関連灰白質の切除式の記録をみると、言語中枢上位になんらかの問題があると欲望が極端に増大するようです。

3:切除されたが故に機能がむき出しになるといっても良いのですが、人間特有というか、ほかの生物に顕著な特徴としてみられない欲望というものは、食物摂取動態機能と言語連合の進化が密接に関わっているものと現状で僕は作業仮説をたてています。そのうち論文にしてだれかにだしてもらいます。

4:人間の集団性ならびに欲求の多くはここ数万年で獲得されたものであり模伝的な要素が大脳機能に暫時的に可塑化されたものであり、器質進化的なものではないとも考えているんですよね。

5ここで群れの優位性がなにによって作り出されるのか。あるいは群れの機能というものは、いったいなんなのかってことになるとこれは群虫論や弾幕論などにも発展しますが、個体上位に関しても、個体と同じく種の保存法則が働くと考えても良いかと思います。しかし、現状の群れの機能はあくまでも数万年まえに可塑化されたものであり、現状で求められるている機能ではない。逆にいえば、種は最終的には絶滅がプログラムされているものですから、いまの道はある意味間違ってはいない。しかしながら、この人間という種を残すならば、いまの機能は欠陥だらけと言わざるを得ない。

6:まぁ、背骨なんかみていると、よく思うんですよね。これほど雑な設計をしたのは誰だってね。もし、人間の背骨を最初から設計できるならば三流の解剖学医でも、こんな設計にはしないでしょう。進化とは基本的には偶然と収斂の連続であり、正しいものとは限らないんですよね。ここで人間原理的なことを持ち出すつもりはありませが。人間の現状をもってして、社会を見るのはあまりにも愚かだと言わざるを得ないんですよね。進化の歴史のなかで人間なんかたったひと瞬きの長さももっていない。もし、人間よりも百万年も文明を維持している宇宙人がいたら、ここ十万年ほどの歴史のなかで地球でもっとも役割を果たした生物はなにかという議論になったとき、その場にいた学者たちは諸手をあげて、節足動物と昆虫だと断言すると思いますよ。この下等種である人間はそれなりに謙虚さをもたなければならないと思うんですよね。

7:背骨と違って社会はある程度設計がきくものなんですよね。そこに可能性も、まだあり得る。故にしんかのなかで獲得した神経作用を見直したほうがいいと思うんですよね。まっ、それが信仰というものの存在理由だったのかもしれませんが。

8:ゾンビを作るのはゾンビパウダーというものを使うのですが、一部の農園手と呪術士が結託して、傷口などにゾンビパウダーを塗りつけて、自発意識をうしなわせ奴隷労働をさせました。この毒物はテトロドトキシン、つまりふぐの毒です。ゾンビ伝説はそうした奴隷哀史からうまれたもののようです。

9:ブードゥーの宗教の本質はこうした呪詛にあるのではなく、奴隷として連れてこられたり、家族と引き離された人々が、その場で霊的な家族の契りを結ぶことにあったんですわ。

一次相転位世界

印パにおける冷戦、アフリカやヨーロッパに現在起きているヒットラーナチスをううわまわるような虐殺。冷戦やエスニッククレンジングがダウンサイジングされている。また、戦後から一度たりとも人々に銃を向けることがなかった自衛隊が海外に出向かざるを得ない状況。

システムが暴走しけかているという状況じゃないよ。すでに暴走しているんじゃないかな。前述したような状況、つまり冷戦以降におきている状況は本来なら世界規模で生起していた出来事だった。それがより小さなレベルで且つ徹底したレベルでおこなわれている。

これは、それなりの容量のある氷を冷やし始めた場合には、零度になったからといっていきなりすべてが氷結するわけではない。ところどころ凍り始めて、それがまだらになり、一気に全体が凍(一次相転位)るのと同じ現象だと思う。

つまり世界はグローバリズム以降(911以降といってもいいけどね)世界経済の同一基軸という展開の元、エネルギー容積を増し、反応が一気に進むのではなく、はじめちょろちょろで、なかぱっぱで、最後には大反応が待っているという状況にあるとしかいえない。
起きるか起きないかの問題ではなくすでに起きている。

子供たちの世代に起きるかもしれないこと

 資本主義というのは資本が希少なときに生じる持たざる者と持つものと位置エネルギーによって経済を動かそうとするスキムなんだよね。ところがこの資本があふれてきて希少性が低くなるとどうなるか。エナーシャ(慣性)といってもいいのだけれど、資本の希少性を維持するために富の集中が起こるわけだわ。その結果、貧富の差が拡大する。この格差が増大すると持たざるものにとって資本というものは無価値なものになってしまい。貧者にとっては資本や通貨は公益性のないものになってしまう。つまり、生活の維持に必要なものは物々交換でもした方がいいってことになり、資本主義などにのっかっている必要性はなくなってしまう。(これが南米などでおきているローカルマネーの流れね)
そうなると資本主義を守護する者たちはどうするか、こうなってしまうと貧富の格差で動作する資本主義はうごかなくなってしまう。そうならないために欧州や北欧などでみられる高度社会保障という形で再分配をすすめてきた。格差をできるかぎり小さくして細々とやっていきましょうってこと、これは資本主義のあるべき姿だとおもうのだけれど、この流れが世界的な潮流になればよかったんだろうけれど、残念なことにそうはならなかった。民意の反映が容易な革命経験国家ではそうしたことも可能だったんだけれど、エナーシャから逃れられなかった国々はグローバル資本主義というものにはしってしまった。

その結果生まれたのが中国への過剰投資だった。その結果、過剰な資本が流れ込んでしまった。環境問題には留意しなくてもよい、ただひたすら資本を集中することに走れる。これは資本主義が自然に派生したのではなく、人為的に持ち込まれたことが原因だと思う。中国の資本家の多くは党の幹部であった、あるいはそれに類するエリート層が資本家になった。つまり、一党独裁制の有無をいわせぬ絶対権力を具備した資本家が登場したということだ。多くの公害や飢餓に近いような農作物の不振があってもおかまいなし。黄河流域周辺に薄い形で広がっていた農耕地帯は上流部にある工業地帯が垂れ流す汚染されつつある。何の公害対応もしない工場から垂れ流される郊外物質は田畑をこわすだけでなく人々の体をもむしばんでいる。もちろん、それに抵抗を示す人々もいるのだけれど、かたっぱしから刑務所にぶちこむ。つまり、社会保障による資本主義の維持という形ではなく、暴力による資本主義の維持を選択しているということだ。

こうした無敵にもおもえる資本主義にたいして世界の資本家はさらに資本を流し込んで自分たちの富を維持しようとするのだけれども、世界の実体経済は農産物を輸出に回さず内需にむけるなどの防衛手段を講じだしている。現状のこうした流れは保護主義というものではなく、グローバル経済からの自衛手段といってもいいものだとおもう。

あまりしられていないことだけれど、中国の食糧自給は落ち込みだしている。また一人っ子政策のためにとてつもない高齢化社会が到来しようとしている。もちろん、それは明日すぐにそうなるというわけではない。経済成長をある程度とげながら徐々に食糧危機や労働力不足がおきてくるわけである。その間にこの国はなにをするかといえば軍事力の強化にいそしむ。20年では不可能だろけれど、40年あれば、米軍の戦力の半分は維持できるような状態になっているだろう。

食いものがない、労働力がない、また、世界経済の変化も大きくそれに対応するには彼らの国で起きている暴力資本主義のエナーシャは非常に強い、そのときに彼らが持っているものは軍事力だけといってもいいだろう。
あくまでも一つのシナリオだけれども、それに近しいことが今後百年の間におこるだろうとおもうので少し書いてみる。

プロセス

北朝鮮崩壊→中国の侵攻→韓国への国境圧力増大→韓国の従属化→米軍のシフト後退→印パ国境地帯における紛争の激化(チベット問題)→ミャンマー軍事政権の中国化→条件1ならびに条件2の影響による中国国内に独立化が加速→自給力強化のための外征開始→空母建艦計画(最大六隻の編成)→政治的支援背景を持たぬベトナムに派兵(農産地のさらなる確保)→台湾海峡事変→台湾核武装→限定核戦闘が中台間の海峡で生起→オーストラリア台湾を支援→米国のオーストラリア支援→核兵器のおどしにより日本中国と安全保障の締結→インド米国オーストラリアが全線域において中国と対立→アジア全域において華僑権益が制限される→中国会戦契機を得る→アジア全域において戦術核を含む戦闘がおきる→日本中立を維持しようとする→中国軍横須賀、沖縄等に巡航ミサイルを利用して奇襲→日本中国間で紛争生起→ロシア参戦(日露ならびに中露の関係により、どちらがわにて参戦するかは不明)

無→有 空

無というものjは非常に面白いものである。もちろんこれは相対的なものや絶対的な位置をしめすもののゼロをあらわしているのではない、つまり気温のゼロ度とかではなく、存在するか否かというバイナリーな問題上の定義としてのゼロ(無)である。

もっと、平たく言えば「無とは、なにもない」といえばいいか。

この存在しないという状態は「存在しない」という場の定義すら否定する。メビウスの輪やお互いに尾っぽから食い合う蛇のような話になってしまうのだけれども、場がゼロということはゼロがゼロである所以にゼロが存在しないということになり、そこに実存が生まれてくる。物理などではブランク定数などをつかって表記される無が有を作り出す状態。

無から生じる有、そしてその有が空間を満たそうとする力。それが空であるのかも知れない。

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